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沿革

第2670地区ガバナー山田 戒乗

「3842徳島ロータリー倶楽部チャーターナイト記念(昭和十一年 四月)」という写真集

昭和10年(1935年)4月18日、村田省蔵氏(当時大阪ロータリークラブガバナー)と大阪時代交友のあった金村知事の紹介で、大阪ロータリークラブをスポンサーとし、徳島ロータリークラブは設立された。初代会長は若林虎吾氏である。地区としては70地区に属し、日本(含台湾、朝鮮)と満州国だった。例会日は毎週木曜日、徳島商工会議所を事務所とし、例会場は徳島公園内の太陽軒であった。

昭和11年4月4日のチャーターナイトは徳島公園内の千秋閣で行われ177名の参加者を得た。翌日のエクスカーションは鳴門での観潮。

加盟承認状(チャーター)

徳島ロータリークラブの国際ロータリー加盟承認順位は18番目である。17番目の金沢ロータリークラブ承認日は同じである。

チャーターメンバーは30名。

昭和10年(1935)5月第7回第70地区年次大会が開催され、国際ロータリー未承認だが、徳島ロータリークラブから7名がオブザーバーとして参加が許された。

昭和13年11月1日、例会場を太陽軒から丸新百貨店に変更した。結果、出席率が88.3%を記録、70地区において第5位になった。

会場千秋閣

観潮船

式辞若林虎吾会長と西野委員長

祝賀会会場

昭和15年アメリカとの関係がロータリークラブにも影響を及ぼし、当局の圧力により各地のロータリークラブで国際ロータリー脱退、解散が続いた。神戸ロータリーと共に最後まで残った徳島ロータリークラブも、この年の秋解散を決議した。

しかし、解散クラブの例によって、解散と同時に徳島ロータリークラブは「徳島木曜会」として活動はそのまま引き継ぐこととなる。そして昭和16年、初代木曜会会長に立木真一氏が就任した。

第二次世界大戦で敗戦した後、昭和22年には東京にある東京工業倶楽部に各地各曜会の有志が集まり「ロータリー復帰協議会」が誕生し小松隆氏が会長になった。同23年、徳島でもロータリークラブ復活の機運が高まり、休止状態だった徳島木曜会の残存会員で会を復活し、林為亮氏が会長に就任し準備がはじまった。

徳島木曜会は7月1日に「復帰協議会」が結成された。

同24年3月23日、東京仮ロータリークラブができ、29日には旧登録番号835で再登録(再承認時のチャーターメンバーは22名)、京都、大阪、名古屋、神戸、福岡、札幌も続いて復帰し、この7クラブで60地区となった。

徳島では同年4月1日、東京ロータリークラブ柏原孫左衛門氏が復帰情報連絡のため、さらに大阪ロータリークラブから星野行則氏、露口四郎氏が指導のため来徳した。7月1日に徳島木曜会を解散、徳島仮ロータリークラブを結成し林為亮氏が会長に再任。8月23日、元の登録番号3842号で復帰が承認され、各戦前ロータリークラブは次々に復帰した。

昭和10年4月に大阪ロータリークラブより寄贈